ヨルシカのブレーメンを聴くとなんだか涙が出てくるので気になって色々調べてみた。
グリム童話ブレーメンの音楽隊というお話しがある。内容はふんわりと覚えてたくらいだった。
内容を読み返しているうちにいくつか思うことがあったので書いておこうと思う。
完全に私の主観MAXであることをご留意いただければ幸いです。
1.ロバ、犬、猫、鶏、彼らは本当にブレーメンに行って音楽隊になりたかったのか
・おそらくあまり具体性の無い耳障りの良い目標だっただけだと思う。
中途半端なヤンキーが「俺は東京に行って永ちゃんみたいになるんだ」と言ってる程度のこと
でも彼らが辛く苦しい現状から逃げ出すには充分な理由だった。
・彼らは現代における「社会的弱者」や「マイノリティの人々」と置き換えられる気がする。
2.夜になって見つけた家でごちそうを食べていた人間達を「泥棒」だと何故断定できたのか
・おそらく「泥棒」ではなく現代でも絶賛悪者扱いの「ただのお金持ち」ではなかろうか?
資本主義、民主主義、同調圧力、それらの化身が「泥棒」と名付けられていたのではないか
3.合体攻撃で脅かして追っ払って強奪したごちそうを食べる主人公達でいいのか
「彼らは力をあわせて知恵をしぼり泥棒達を追っ払い、ごちそうと家をGETした。」
・彼らは色々と調べ市役所に行って生活保護を受給した。
・彼らは差別、侮蔑されない土地やコミュニティを見つけて新たな生活を手に入れた。
と受け取るとスッと入ってくる感じがある。
4.ブレーメンに行かないという決断をして家にとどまったのか、諦めたのか、うやむやにしたのか
ブレーメンに行って音楽隊になるんだ!きっと今でも行くつもりなんだと思う。
行ってああしたいとか。行くまでにここを直した方がいいとか。考えて作戦を練って準備をしてる。
そんな時間が幸せなんだっていうことを改めて気付かせてくれた気がした。
ラスボス倒した時の虚しさというか寂しさというか、その原因がここにある気がした。
まとめ
・辛くて苦しい状況でも打開策はある。逃げてもいい。
・一人では怖いことでも助けてくれる人、手伝ってくれる人、見守ってくれる人がいれば勇気湧くって
・目標は適当でいい。絶対的な目的があるのが理想だけど、適当でいい。
きっとプロセスに幸せはある。目的に真剣に向かうなら道中がきっと楽しい。苦しいこともあるけど
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